昭和の方であればご存知のはずなのが、横綱・輪島の強さ。世代によっては全日本プロレス時代の方がインパクトがあるかもしれません。輪島大士さんのwiki経歴&・嫁や息子は【画像】相撲協会やめた理由はなぜ?を取り上げます。
輪島大士のwiki経歴&嫁や息子の名前は?だれ【画像】?
まず、輪島大士さんのプロフィールから。
黄金の左!
元横綱、輪島大士さん死去…
ご冥福をお祈りします。 pic.twitter.com/C8n7bWUm9t— 乳母車の弥七 (@ossan0127) 2018年10月9日
・本名:輪島 博(わじま ひろし)
・生年月日:1948年(昭和23年)1月11日
・出身地:石川県七尾市
・血液型: A型
・身長:185cm
・体重132kg(大相撲時代)
・ニックネーム:蔵前の星・黄金の左
身長はさておき、体重などは力士としては重い方ではないですが、とにかく強く、全盛期の強綱・北の湖関と互角に渡り合えたのは、輪島さんくらいだったはず。
輪島大士さんは、金沢高等学校→日本大学と進み、相撲部で活躍しました。現在でこそ多いものの、当時ではまだ今ほど大学生から角界にという流れは少ない時代でした。
輪島大士が逝ってしまった……😢 pic.twitter.com/u3JOB42OEF
— GAKU☆氣☆SASAKI (@AHIMSA5578) 2018年10月9日
輪島大士さんは、大学卒業後に角界に入門。
最初からその力量は高く、なんと”ちゃんこ番等の雑務”を特別免除されるという待遇を受け、入門してすぐに、幕下を2場所連続で全勝優勝して最短記録で十両入り。十両も4場所で通過して初土俵からわずか1年で新入幕を果たすという出世スピードでした。そして初土俵からわずか3年半という超スピード出世で横綱へ上りつめました。
金回りが良く愛車はリンカーン・コンチネンタル。なかなかド派手なライフスタイルだったそう。髷を結う前の髪を伸ばしている時期にパーマを当てる、トレーニングにランニングを取り入れるなど話題を提供しました。
でもランニングを取り入れるなんて・・・イイんじゃないですかね?今の力士はみな体重だけ増えてスタミナがない印象が・・・
当時の輪島大士さんのライバルは、貴ノ花や魁傑そして北の湖でした。
1981年3月場所中に引退し。花籠部屋と年寄名を継承しました。
輪島大士のwiki経歴&嫁や息子の名前は?だれ【画像】?
さて、輪島大士さんの嫁についてですが、輪島さんは、2度結婚されています。
・一人目の嫁さん ⇒ 中島五月さん
師匠・大ノ海の長女の五月さんが、最初の輪島さんの妻でした。しかし、後に自殺未遂を起こし、その事情が、輪島さんの借金にあることが判明。
輪島さんが派手な生活を送って多額の借金を作り、「花籠名跡」まで借金のカタに入れていたことが発覚したため、このことが原因で、輪島さん離婚。
・二人目の嫁さん ⇒ 留美さん(現在の奥様)
この方は、輪島さんがテレビ番組のお見合い企画(とんねるずの生ダラ)で知り合い結婚しました。現在の奥様になります。
そして、お二人の間に息子さんが誕生します。輪島さんが50歳を過ぎたときに誕生した息子さんなので、輪島さんからしたら可愛かったでしょうね。
輪島大士のwiki経歴&嫁や息子の名前は?だれ【画像】?
輪島さんには、息子がおり、輪島大地さんといいます。奈良県の天理高校でピッチャーとして活躍し、甲子園にも出場。その体格は恵まれており、187センチ、体重87キロの恵まれたものでした。
出典元:日刊スポーツ
残念ながら、2017年に、野球には高校野球で見切りをつけ、卒業後には海外留学の道に進みました。主に学んでいるのは、コンピューターサイエンスの分野で、将来はプログラマーやアプリの開発に携わる夢を持っているとのことです。
体格は恵まれていますが、お父さんと同じ相撲の道には進まなかったんですね!でも、今の相撲界はかなり微妙な感じもします。賢明な決定だったかもしれませんね。
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