日本大アメリカンフットボール部の部員による悪質タックル問題は尾を引いており、問題は、コーチ陣の辞任へと広がってきました。
そんな中、森琢ヘッドコーチ(HC)、立命館大出身の長谷川昌泳コーチそして、田中芳行コーチが辞任となりました。
とくに、ここでは、長谷川昌泳コーチに注目してみたいと思います。
長谷川昌泳コーチのwikiプロフィール
・氏名: 長谷川 昌泳(はせがわ しょうえい)
・生年月日: 1982年11月26日生まれ
・身長: 183cm
・体重: 85kg
・現役時代のポジション: ワイドレシーバー
長谷川昌泳コーチは、在日韓国人になります。
しかし、日本代表として戦いたいという思いで、日本国籍を取得した経緯があります。
ところで、長谷川昌泳コーチの現役時代のポジションはワイドレシーバーでしたが、このポジションは、「レシーバー=パスを捕る人」という意味です。
具体的には、QBから指示された場所に走りこんでパスをキャッチし、得点を入れる役割を担います。
サッカーでいえば、ワイドレシーバーは、点取り屋であるフォワード(FW)と同じポジションです。
たしかに、QBがオフェンスの中心ポジションではあるのですが、それを捕り、最後に得点を入れるのもレシーバーなのでかなり目立つポジションといえます。
長谷川昌泳コーチは、ワイドレシーバーとして現役時代、実績をあげました。
また、かなり目立つ存在だったといって良いでしょう。
長谷川昌泳コーチの経歴とは?
長谷川昌泳コーチの経歴は華々しいものがあります。
長谷川昌泳コーチがキャリアを開始したのは、大阪産業大学附属高等学校にいたとき。
これはアメフト選手として比較的に遅いスタートかもしれませんね。
その後、進学した立命館大学パンサーズでエースレシーバーとして名を馳せ、関西学生リーグのパスレシーブ獲得ヤード第1位を獲得します。
いかにそのレシーバーとしての能力が高かったか分かりますよね!
立命館大学を卒業後はNFLヨーロッパでプレーし、ライン・ファイヤー⇒ 2006年にアムステルダム・アドミラルズへと移籍します。
海外での活動を早い時期から開始しているんですね。
そして、2006年に松下電工インパルス(現パナソニック電工インパルス)に入団し。西地区新人賞にも選ばれました。
ですから、海外修行?を経て日本に帰国したわけですね。
2007年には、W杯にも出場し、2012年に現役を引退しました。
そして、2013年から日本大学アメフト部のコーチに就任しました。
今回、辞任までの約5年間コーチとして活動していたということになります。
長谷川昌泳コーチと内田正人監督との関係は?
長谷川昌泳コーチと内田正人監督との関係ですが、現在分かっているのは、内田正人監督がわざわざ招へいしたという点です。
長谷川昌泳コーチはもともと立命館大学出身であり、日大とは学閥が違い、内田正人監督とは共通点が少ないように見えます。
ですので、単純にそのコーチング能力を見込んで招へいした可能性が高いと思われます。
また、長谷川昌泳コーチに関しては、アメフト関係者や学生たちからの信頼が高く、実際に人柄も優れた人物だったと思われます。
そのアメフトに対する情熱や想いは定評があり、実情を知る人からは、今回の辞任は「もらい事故」のようなものという声もあがっています。
もし、それが本当なら、今回の一件がもたらした被害は大きすぎますね!
まとめ
今回、長谷川昌泳コーチは、いわば連帯責任のような形でコーチ辞任に追い込まれたような部分もありますが、やはり内田正人監督に進言ができない空気感があったのかもしれませんね。
また、長谷川昌泳コーチは立命館大学出身であることなども影響して、「外様感」も感じて、なかなか上に物を申せない雰囲気だったのかもしません。
今後、さらに事実の究明が続くとは思いますが、長谷川昌泳コーチを含め指導陣の後任選びなども本格化するかと思います。
是非、新しい日大アメフト部として復活できるのかを見守っていきたいと思います。
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