栗城史多さんが、エベレスト登頂に失敗し、その下山中に「低体温症」で死亡していたことが明らかになりました。
本来、登山家というと孤高の人物が多い気がします。「なぜ山に登るのか?」と問われれば、「そこに山があるから」と朴訥と答えるような人が登山家かと思っていましたが、栗城史多さんといえば、どちらかというと、その手の孤高の登山家というよりは、セルフプロデュースの巧い方という印象がありました。
個人的には、栗城史多さんは、いかに効果的に情報発信して、マスコミに取り上げてもらうかを理解し、かつ追及していた方という印象も強いですね。
実際、何だかんだいいつつもマスコミでもよく取り上げられ、賛否両論はあるかもしれませんが、そんな生き様に魅了されていた人も多かったように感じます。
栗城史多・エベレストで死亡(死去)低体温症の症状とは?
今回、栗城史多さんは、エベレストで不慮の死を遂げられたわけですが、その死因となったのが、「低体温症」といわれています。その症状とはどんなものなのでしょうか?
低体温症とは?
低体温症とは、文字通り”体温が低い症状”のことを指していますが、もう少し詳しく説明すると、体の中心部の温度が35℃よりも下がった状態を指しています。
この”35℃”という体温には意味があり、もし”35℃”を下回ると怖いのは、脳に深刻な影響をもたらし、正常な判断力を働かせることが難しくなりる点。そのため、体温が”35℃”以下になると、会話に支障をきたすといわれています。
今回、気になったのが、栗城史多さんが、標高7400メートル地点で体調悪化により、下山開始後しばらくして「無線に応じなくなった」という点。この時点で、体温がかなり下がり、脳が影響を受け言葉を発したり会話ができなくなっていた可能性が高いです。
ちなみに、体の中心部の温度が34℃を切ると、さらに判断力が著しく低下するといわれており、正常な判断を下せなくなったりします。
よく山で死亡した遭難者が、発見時に衣類を脱いだ裸の状態で発見される事例というものがありますが、これも正常な判断力を失ったことによるもので、典型的な低体温症の症状が原因といえます。
栗城史多さんの低体温症の原因とは?
栗城史多さんの低体温症の原因ですが、これは、気温低下と強風による影響が原因といえそうです。そもそも栗城さんがいた標高7000メートルは、地球上でも極地といっても良いある意味異常な高さ。
一般的に、低体温症で亡くなる方のケースでは、軽装備で登ってしまい、雨風に打たれて、荷物から装備を取り出そうとしている間にみるみる体温が下がってしまい、低体温症にかかり、亡くなるケースも見受けられます。
たとえば、かつてゴールデンウィーク中の白馬岳への登山で、山頂まであと1㎞に迫った稜線上で6名もの方が低体温症で亡くなったケースがありました。
これなどは、当初は天気が良かったため比較的軽装で登山したものの、急激に天候が悪化、そして身動きがとれなくなり、これらの方が低体温症で亡くなったことが理由といわれており、パーティの中にはベテランで防寒着を持参していた人もいたにもかかわらず、それを取り出す間もなく死亡したケースも見受けられたとのことです。
この白馬岳で起きた遭難時の気温はマイナス2℃だったといわれ、デスゾーンともいわれる超低温のエベレストの頂上近くで、低体温症になるというのは、決して不思議ではないです。ですが、栗城さん、装備品とかきちんと対応したものを持っていっていたのか気にはなります。
また、今回栗城さんは登山前から風邪のような症状を患っていたともいわれ、そもそも最初から体調が悪かったのではないか・・・という気もしてしまいます。
栗城史多さんは、やはりエベレストを攻め切れる体力、スキルなどを含めた実力が備わっていなかったんじゃないでしょうか?
かなり無理をしていたような気がします。
まとめ
栗城史多さんの山での死は結構ショッキングですが、振り返れば今までも色々な登山家がそのスタイルに警鐘を鳴らしていましたよね。
やはり「山を甘く見てはいけない」というのは事実ではあるのですが、こういう形で見せつけられてしまうと、実力不足と自己過信だったでは?という思いがしてならないですね。
マインド自体は、「純粋にエベレストを征服したい!」というものだったのであれば、非常に残念ですよね。
今は、ゆっくり休んで頂きたいと思います。
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