連続テレビ小説「半分、青い」は、脚本家・北川悦吏子さんが紡ぎだしたオリジナルの作品です。舞台となっている、高度成長期の終わりから現代までを、力いっぱい生き、やがて一大発明を成し遂げる様を描くヒューマンドラマです。
「半分、青い」の意味とは?
「半分、青い」のヒロインは、楡野鈴愛(にれのすずめ)という女の子です。鈴愛(すずめ)は、1971年生まれの快活な女の子ですが、病気で片耳を失聴してしまいます。
彼女は、小学3年生のとき、左耳の聴力を失ってしまうのですが、雨音が片耳でしか聞こえないことをおもしろがり、雨上がりの青空を見て「半分、青い。」とつぶやきます。
このドラマ「半分、青い」は、そんな鈴愛のつぶやきから取られています。このセリフからも分かるように、鈴愛は、ポジティブで、ユニークな感性の持ち主で、本来ならハンディキャップの聴力の問題も、前向きにとらえます。
このドラマに一貫して流れているのは、そんな鈴愛の精神性ですね。
「半分、青い」のネーミングの由来とは?
「半分、青い」のネーミングの由来ですが、そもそも、このドラマの原作は、脚本家・北川悦吏子さんのオリジナル作品です。
ですので、しいていえば、「脚本家・北川悦吏子さん自身の感じたこと」ということになります。
そもそも、北川悦吏子さん自身が、今から6年ほど前の2012年、左耳が突然聞こえなくなるという症状に見舞われます。その原因となったのが、「聴神経腫瘍」という病気でした。
「聴神経腫瘍」とは、神経を包む細胞から発生する良性の腫瘍のことです。細胞としては、基本良性ではあるものの、腫瘍のできた場所があまり良くないと最終的に死に至る可能性もあるという意味では、タチの悪い種類の腫瘍ともいえます。
北川悦吏子さん自身は、その自身の体験を踏まえてこのドラマのネーミングを考えついたと思われます。
「半分、青い」のようなポジティブな姿勢を感じる名言
ドラマのタイトルともなっているセリフで、鈴愛(すずめ)がつぶやいた「半分、青い」というワード。 失ったものではなく、今あるものに目を留めて積極的に生きようとする姿勢が伝わってきます。
でも、こういった姿勢は、何らかのハンディを持つ人の方が持っているケースも多くあります。
たとえば、視力と聴力を失っても、なおポジティブに生きたヘレン・ケラーもいくつもの名言を残しています。
その中には、「耳が聞こえないことは不便である。しかし、不幸ではない」という言葉があります。ヘレン・ケラーにとっては、そのハンディゆえに不幸と感じることはなかったんですね。
また、「私は自分の障害を神に感謝しています。私が自分を見出し、生涯の仕事、そして神を見つけることができたのも、この障害を通してだったからです」という言葉も残しています。
深いですね~ ”自分のライフワークを見つけることができたわけだから、むしろハンディを与えてくれたことを感謝できる”とさえ表現しているんですね。
鈴愛(すずめ)は、「半分、青い」と述べていますが、すべてが備わっていては気づかない部分だったり見落としてしまっている部分かもしれません。
このドラマは、今もっている部分を高く評価して生きるように教えてくれているのかもしれません。
まとめ
楡野鈴愛(にれのすずめ)は、もちろんドラマに登場する架空の人物なんですが、そのドラマ名「半分、青い」には、脚本家・北川悦吏子さんの原体験や精神性、生き方などが反映されているという想いが伝わってきます。
特に、鈴愛のように、幼い時期には、自身の負っているハンディキャップも大人よりもより前向きにとらえる力や能力に長けているように感じます。
このドラマを通して、そんな鈴愛を支える温かい家族関係なども描かれているので、とても楽しみなヒューマンドラマですね♪
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