元広島カープの鉄人・衣笠祥雄さんが大腸がんで4月23日の亡くなりましたね。衣笠祥雄さんというと赤ヘル軍団のイメージが強いですが、とにかく怪我に強い選手だったイメージがあります。
衣笠祥雄さんは、2215試合連続出場の記録を達成したわけで、そもそも強靭な体力と精神力がないと、達成できない記録であることは間違いないですよね。
さて、そんな衣笠祥雄さんですが、現役時代の最高年俸はおいくらだったのでしょうか?また、現在の価値にして一体いくらの年俸をもらっていたのでしょうか?
衣笠祥雄死去・入団時の契約金は?今の価値でいくら?
衣笠祥雄さんは、その年俸を経緯を見ていても超一流の選手だったことが分かります。まず、入団当時、つまり1965年の契約金は1000万円でした。
今でこそ、ドラフト上位の選手は契約金が1億円というのが相場ですが、当時の1000万円というのはそれこそ超が付く破格の金額でした。
ちなみに、昭和40年(1965年)の大卒の平均初任給は、1万円強でした。ですので、単純に現在の大卒初任給と比較すると、大体20倍になりますね。
単純に衣笠さんの契約金と比較することはできないと思いますが、現在のお金の価値に換算すると、1-2億円くらいの感覚だと思います。
当時の人々からしたら、目が飛び出るような高給だったでしょうね。
衣笠祥雄死去・現役時代の最高年俸は?今の価値でいくら?
そんな衣笠祥雄さんの現役時代の最高年俸はいくらかというと・・・
1986-1987年にかけて受け取っていた年俸6,800万円になります。
衣笠 祥雄
2677試合 .270(9404-2543)
504本塁打 1448打点 266盗塁 88犠打広島(1965-1987)pic.twitter.com/Z2GswUOwm4
— プロ野球通算成績bot (@npb_player_bot) 2018年4月24日
当時は、日本もバブル経済がはじまっていたころで、日本人の皆が豊かになるつつある時代でした。
で、この年俸6,800万円を現在のお金の価値に換算すると、物価の価格上昇率などを考えて、2-2.5倍くらいの価値になると思います。つまり1億4千万~1億7千万円くらいの価値です。当時、つまり昭和61年 (1986年)の大卒男性の平均初任給が14万円少しでしたので、まー根拠のある数字かもしれないと思います。
ちなみに、「日本人初の1億円プレイヤー」といえば、落合博満さんですが、やはり1986年に2年連続3度目の三冠王を獲得し、そのオフに大型トレードで中日への移籍したとき、その年俸がついに大台1億円を超えました(1億3000万円)。
ただ、落合博満さんは、1億円プレーヤーになった背景等を考えてみても特別なわけで、衣笠祥雄さんが同時期に得た年俸6,800万円というのは、やはりスゴイ年俸ということになります。
また、あの決して財政的には豊かではない広島という球団で、この年俸を取得したのは意味が大きいですね。やはり広島という球団の顔ということですね、
まとめ
衣笠祥雄さんは、広島カープの鉄人として名実ともに一流選手といえました。
その生涯は、野球への情熱を傾けつづけた方でもあります。
そして、何より現役時代の野球選手の年俸というのは、その野球選手の分かりやすい価値となる数値であり、その現役当時に高額の年俸を取っていた衣笠祥雄さんはやはり一流の選手だったと改めて思います。
これからも、その衣笠祥雄さんの意志を次ぐ鉄人の選手が広島から表れて欲しいですね!
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