上野正彦(監察医)の事件簿・死体への向き合い方から分かるモチベーションとは?

上野正彦さんといえば、「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」での「法医学者上野正彦の事件簿」シリーズなど、近年様々な番組に出演されており、その名前や知名度も徐々に広がってきています。

もちろん、上野正彦さんは、以前からそのベストセラーともなった著書「死体は語る」の作者として知られていました。また、上野正彦さんのこの本を通して、監察医という、それまでどちらかというとあまち目立たないフィールドの職業に脚光があたるきっかけにもなりました。

個人的には、上野正彦さんの著書「死体は語る」は本当に面白かったです!2001年に出版された本なのですが、今読んでも新鮮で古さを感じないですし、当時ハードカバーで買い、今でも書棚にあります。

事件に巻き込まれた方の遺体に真正面から向き合い、一人ひとりの人生とある意味対話しながら真の答えを探し求めていく・・・その作業は、孤独でキツイものだと思います。

そんな真実や真相を探し求める上野正彦さんの姿勢は本当に尊敬できます!

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上野正彦の経歴・プロフィールとは?

上野正彦さんの経歴、プロフィールなどに迫りたいと思います。

生年月日:1929(昭和4)年1月1日生まれ

出身地:茨城県

最終学歴: 東邦医科大学

ちなみに、上野正彦さんが卒業された東邦医科大学は、少し前からの医学部バブルによる影響で、昔と比べ高い偏差値が必要となっています。

65程度の偏差値が必要な早慶理系に対して、難易度でいえば、それよりももう少し難しい東邦医科大学は、やはり入るのが難しい大学といえるでしょう。

さて、上野正彦さんは、幼いころは北海道の積丹半島の美国で育ったのですが、その家庭環境はといえば、父親が医師というもの。

とくに、上野さんの父親は、病院の少ない僻地(へきち)ともいえる美国で、医師として医療活動を行っており、貧しさゆえにお金を払えない人々からはお金を取ることがありませんでした。

う~ん、これは、なかなかできることではないですよね! 奉仕する気持ちというかボランティア精神がある父親だったのですね!

上野少年はそんな父親を見て尊敬し、やはり父親の跡を追い、医師を目指しました。

上野さんは東邦医科大学卒業後は、日本大学医学部法医学教室へ入室し、徹底的に学びます。そこで5年勤務した後、つまり1954年に医学博士となり、その後、東京都監察医務院で監察医としての勤務をスタートさせました。

ちなみに、東京都監察医務院は、昭和23年に開院しました。その主な任務・目的は、東京都23区内で発生した不自然死(これは死因不明の事故死や急性死などのことです)の原因を追究すべく、死体の検案と解剖を行い、その死因を明らかにすること。

とくに、昭和23年というと終戦後3.4年しか経っていないころですから、日本もようやく戦後のどさくさから抜け出し、法医学の分野でも真実究明の態勢が整ってきた時期といえますよね。

そして、上野正彦さんは当時、あくまでも東京都内23区内で起きた不自然死と向き合っていたわけです。といっても、 都内のみとはいえ、その不自然死の数はかなりの多さです。

平成25年の年間検案数は、13,593,体、解剖数は2,338体で、一日平均の検案数は37.2体、解剖数は6.4体となっています。

この検案数は、東京都23区内における全死亡者数の約18%にあたります。つまり、5.5人に1人が監察医の検案を必要とする原因不明の病気や事故などで死亡していることになります。

参照元:東京都監察医務院のサイト

少し前のデータではあるものも、これだけ多くの”真相究明を求める死体の声”があったわけで考えさせられますね・・・

ところで、東京都監察医務院では、365日、死体検案書を発行するので、休む間のないハードな業務といえますね。

なお、東京都監察医務院で行われた解剖などで得られたデータの数々は、予防医学、医学教育、臨床医学などにフィードバックされることで、医学の進歩への貢献にも役立っています。

こう考えると、医学の進歩発展に監察医の存在は欠かせないわけですね。そして、その背景には監察医たちの日々のハードな業務があるわけですね!

さて、上野正彦さんは、1984年に、東京都監察医務院の院長に就任しました。そして定年前の1984に退官し、その体験や豊富や経験を生かし作家としての活動を始め、そこで生まれたのが、大ベストセラー本となった『死体は語る』です。

それ以外にも、『解剖学はおもしろい』、『死体は知っている』、『死体は悩む』、『死の雑学』など多数の著書を執筆され、また近年は講演会なども精力的に行っておられます。

上野正彦の息子とは

ところで、上野正彦さんと検索すると、”上野正彦 息子”というキーワードが出てきます。

上野正彦さんご本人が、お2人もお子さんがいることを明かされていますので、もちろん息子さんがおられても不思議ではないでしょう。

ただ、上野正彦さんもご家族もあくまでも一般の方なので、あえて詳細な情報を出す必要性も感じられていないでしょう。

ただ、かなり一般の方が関心を持たれている部分なのでしょうね。

個人的には、上野正彦さんご自身は父親の背中を見て影響を受けて医師になられましたから、上野正彦さんの息子さんもお父様のやはり背中を見て、医学の道に進んだ可能性も高いのではないかと思います。

上野正彦が事件と向き合うモチベーションとは

個人的には、上野正彦さんは監察医として死体=事件と向き合うときには、かなりしっかりとしたモチベーションが必要なのではないかと思っていました。

上野さんの口からは実際に、「死者の人権を守る」と言う言葉が聞かれ、死者=もっといえばその家族を含めた周囲の人々への敬意が感じられます。

「死者の人権を守っていく。守られることによって社会に秩序が維持されるわけですから、なんとしてでも真相を解明する。そうじゃないと私たちの仕事は成り立たないですから」

そもそも上野正彦さんが医師を志すようになったのは、幼いころ、貧しい人びとと共にいて、助けた父の背中を見ていたから。

上野さんは、弱い人や助けを必要としている人を助けたいという慈悲深い精神がその長年の監察医としてのキツイ仕事をするモチベーーションとなっていたと考えるのは難くありません。

ある意味、上野さんによる解剖で真実を明かしてほしいと願っている死体やその家族の想いに答えようと活動をなさっているわけですね。

いや、そういうモチベーションがなければ、真相究明に向けて力を尽くせないことでしょう!

上野正彦と北村弁護士のタッグの裏にある友情と信頼

上野正彦さんとあの北村弁護士との関係の深さも良く知られていますよね。

北村弁護士は、「行列のできる法律相談」などでのテレビ出演での、あの強面なキャラクターを見ると、一見「・・・」という感じですが、涙もろかったり、人情家で、内面の熱い方であることが分かります。

ちなみに、上野正彦さんと北村弁護士の間柄は、「刎頸の友」とさえいわれています。「刎頸の友(ふんけいのとも)」とは、互いに首を斬られても後悔しないほどの信頼関係という意味です。

上野正彦さんと北村弁護士では、年齢差もかなりありますが、三河島事故、大学助教授女子大生殺人事件や金正男暗殺事件など世間を騒がせてきた様々な事件を、共に力を合わせて扱ってきた中で、培ってきた深い友情と信頼関係といえるでしょう!

まとめ

上野正彦さんは、その豊富な知識と経験から「歩く事件簿」といっても過言ではない気がします。

普通、医師といえば、患者の命を救ったり病気を治したりするときに、やりがいを感じるものだと思います。

でも、上野正彦さんの場合は、向き合うのはもはや生を失くした死体です。真相を暴くことこそが上野さんの使命なわけです。

そんな厳しい仕事を全うしてきたのは、上野さんのうちに秘めた人への敬意や慈悲・・・もっといえば「人類愛」のようなものだと思います。そういったものが、きっと上野正彦さんを突き動かしているのだと思います。

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