「高嶋弘之」さんは、ヴァイオリニスト・高嶋ちさ子の父で、俳優・高嶋忠夫の弟にあたる方。音楽プロデューサーとして多くのアーティストにかかわってきました。番組では、「高嶋弘之」さんが、ヤラセでビートルズを日本に広めたとして、そのアウトなヤラセが暴露されていましたが、そもそもがスゴイ方なんです。少しご紹介します(アウトデラックス12月7日)。
高嶋弘之さん アウト?
高嶋弘之さんは、ビートルズを日本に広めるため、かなりアウトな手法を使って番組ではアウトなヤラセが暴露されていました・・・
実際に、過去、高嶋弘之さんは、著書やインタビュー等で、ビートルズを日本で売り出すために、「現代であれば確実に問題になるような数々のやらせや数字の不正操作などを裏で行なっていた」と述べています。
ビートルズを日本のメディアで取り上げさせるため、東芝音工・従業員らを床屋に連れて行って髪型をマッシュルームカットにさせた上で、その様子を週刊誌等に取材させ「今ビートルズカットがブーム」等の記事を書くよう仕向けたことがあったそうです。
また、何せビートルズ担当なので、英語でコミュケショーンができそうなイメージがありますが、まったくできなかったそうです。曲名の日本語名は、曲を聞いたイメージで、付けていたそう。
でも、「抱きしめたい」などビートルズの初期の楽曲の邦題のほとんどを、高嶋さんが、付けたともいわれていて、そう考えると才能のある方ですよね。
高嶋弘之さんのプロフィールとは?
さて、そんな高嶋弘之さんのプロフィールですが・・・
【話の肖像画】音楽プロデューサー・高嶋弘之 オクラ入りになった「イムジン河」 https://t.co/J1RUzGCwjN pic.twitter.com/PCDs9Cq3r0
— 産経ニュース (@Sankei_news) November 17, 2017
高嶋さんは、1934年兵庫県神戸市生まれで、早稲田大学文学部卒業です。
音楽ディレクター・プロデューサーとして活動されてきました。1964年にビートルズの初代ディレクターとなり、ビートルズ訪日時にも担当していました。
その後は、邦楽担当となり、今度は和製ポップスで数々のヒット作品を手がけました。
高嶋弘之さんが手がけた曲は?
高嶋弘之さんが手掛けた曲としては、黛ジュンの「恋のハレルヤ」(昭和42年)「天使の誘惑」(43年)などがありいずれも大ヒットを記録しました。さらに、由紀さおりの「夜明けのスキャット」(44年)もヒットしました。ちなみに、曲名を「夜明けのスキャット」と命名したのは高嶋さんなので、センスありますよね♪ 曲名も大事な要素ですよね。
さらに、高嶋弘之さんは、ザ・フォーク・クルセダーズ(メンバーは、加藤和彦、きたやまおさむ等)の「帰って来たヨッパライ」(42年)にも、”洋楽ディレクター”として参加しましたが、こちらは300万枚近いメガヒットになりました。
日本人であれば、これらの曲は、見たり聞いたりしたことがある有名なものばかりですよね♪
まとめ
ペニーレイン神戸であった高嶋弘之さんの講演会に参加してきた。貴重なお話をたくさん聞けて、しかもビートルズ四人の直筆サインも拝ませてもらい、とても有意義な時間を過ごすことができた! pic.twitter.com/vbMRF0G8Ty
— ウォラス (@tanishi4jpgr) October 21, 2017
高嶋弘之さんが、ビートルズを手がけるさいに、今だったらヤラセともいわれかねない方法で日本でのビートルズの知名度を上げていったんですね・・・
たしかにアウトかもしれませんが、時代がおおらかで、また今のようにインターネットやSNSなどがない時代・・・ そうした手法に頼らざるを得ない部分もあったのかもしれませんね♪
そんな高嶋弘之さんは、現在は、高嶋音楽事務所を設立し、J-クラシックスをフィーチャーした活動を行っていて、その貢献度は高いですね。 今後に引き続き期待していきたいですね!
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